なぜ【無邪気】にはライナーノーツがないのか。

2021年05月30日

クラシックアルバムの場合、当然あって当たり前とされるライナーノーツ。
それがなぜ、私のニューアルバム【無邪気】にはないのか。

すでに、それ自体を訝しがられたこともある。
そういう方は、「足利真貴が本気でクラッシックに取り組んで無い」と思うだろう。

正直とても悩んだ。
自分の思いを信頼できるライターに話して、その上で書いてもらうこと。
実はすでにそれは途中まで話は進んでいた。

そんな時、ある友人に相談した。
本人は忘れているだろうが(この投稿を見て思い出すか?)クラシック専門誌のアルバム紹介で特選盤にも選ばれたこともあるピアニストだ。ディスカッションするのにとても楽しい友人だ。

「今度CD出すんだけど、やっぱライナーノーツって、必須かな」
わたしが聴くと
「必須じゃ無いとは思う。けど常識としてあるし、自分にも伝えたいことあるから僕は書きますね」
と答えた。

もちろん彼の言葉だけが決め手ではないが、わたしの心にはぐさりと刺さった。


そして数週間考えた。

わたしは、ライナーノーツを省くことに決めた。

今回のアルバムは二十八曲もの日本歌曲がおさめられている。
わたしにとってはそれぞれ思い入れがある。

(調べてみると、中には、詩人の想いどころか、作曲家が言葉自体を勘違いしてそのままそれを曲のテーマとしてリフレインしている曲もある。)

その思い入れは、聴く人によって私の想いで固定されたくない という意識があった。
友人の言っていた「伝えたいこと」は、本当に私にとって"最初から"伝えたいことなのか?

例えば、今回たくさん取り上げた金子みすゞ。彼女の詩はとても清廉で、
特に今回は「童謡歌曲集」として取り上げた曲がほとんどで、
そこに毒など一つも入っていないように感じる、
「みんなちがってみんないい」「こだまでしょうか」などの言葉たち。

皆が耳にしたことのある優しく正しい言葉と、
そこから想像もつかないような、彼女が選んだ生涯の閉じ方の激しさ。

彼女の人生を知るにつれ、まずは、わたしの想いも変わっていく。
詩 については、その変わった後のわたしの思いを、ライナーノーツの一つとして入れるべきなのか、
曲 については、さっきも書いた、詩人と作曲者の思いの相違を書くべきなのか書かないべきなのか。
それともそれらには直接触れないのか。

このCDを作るきっかけとなった「芥子粒夫人(ポストマニ)」というお姫様の話はどうなのか。
この話が日本に伝わってきた当初は絵本や読み聞かせの話として、
「お父さんお母さんを大事にしないとこんな目に遭いますよ」
という教訓めいたものがあったかと思う。
が、実際はそうなのか?両親を裏切って、世話になった魔法使いまでも裏切って、
自分の欲に走った可愛い子ネズミを、物語の中では誰も責めていない。

「めでたしめでたし」なスタンスでわたしは歌っていないが、
だけれどポストマニ姫やその物語に出てくる人 動物たちの気持ちが理解できる。

聴く人、読む人、聴くとき、読むとき、によってちがって当たり前なのだ。

それを考えた時に、わたしは、わたしが自分が勉強を進めるうちに心が変わったように、
聴いてくださる方にも、最初は、楽しく聴いていただいて、また何年後か?
聴いた時に「ハッとすること」があれば良いと思った。

ではそれをライナーノーツ という「文章」ではなく、どこに仕込んでおくか。
それが、わたしのブックレットにおいての拘り

1.歌詞 ではなく、詩人が遺したそのままの言葉づかいで記すこと。(曲になった時に変わっているものはたくさんあるし、漢字は全てひらがなになっている曲もある。だが、原詩まま、漢字づかいや、旧仮名遣いなどを選んだ。タイトルも、一部、作曲家のつけたものではなく詩人が書いたそのままを載せた)

2.写真をそれぞれに作りこんで、時代背景や私の想いを表現すること。

3.紙の質感や、デザインで、言葉になる前の感触感覚を、ご自身で受け止めていただくこと。


だから、私がブックレットの中で抱えている(裏ジャケに写っている)アコーディオンは、
実際に戦前に使われていたものを探したし、
ブックレット中で手にしているキセルもおそらく大正時代のものである。
持っている傘も、女性用の和傘だが、西洋の文化が少しだけ入ってきたと思われる柄をしており、
その時代の恋心を表すのにはもってこいだと思った。

全て、あらゆる古道具屋を見回って探し巡ったものだ。
ヘアも、ピンカールという、今では美容師の国家資格以外ではほとんど使われない技法を用いてもらい、
それぞれの時代感を表した。

ポストマニの最期を表すためには、私は足利真貴ではなくポストマに姫として写真に収まった。
さらにいうと私の思う金子みすずの死生観は、裏ジャケにも表現されているものだ。
パッと見、おしゃれでかわいいものだが、よく見ていただければわかると思う。


「かわいい!」「かっこいい!」
だけど、この女性の目は何を見ているの?
綺麗だけどなんかこわいかも。

そう思いながら何度も聴いてほしい。
できれば、ブックレットは詩集の意味合いが大きいので、
もし時間が取れる時があったら、めくりながら聴いてみてほしい。


マット加工を施したケースは、触り心地が良く、愛でるのに最適だ。
私は、今回のCDにクラシックでは定番の、
「なくてはならないもの」とほとんどの方が思っているライナーノーツをあえて省き、
原詞と、写真と、デザインで勝負したことを、本当に良かったと思っている。


伝わらないなら伝わらないでいい。
素直に楽しんでいただければいい。
それもすごく嬉しいことだ。
素直に楽しむことは、詩人と作曲家が望んでいたことなのではないかと思う。

でも、深読みしたいなら、どんどん深読みしてほしい。

その余白を、残しておきたかった。

「足利真貴ってソプラノ、なんも考えてないね」

そう思われてもいい。

それはきっと、私とピアニスト 二人の演奏を聞けばわかる。
まさに、みんなちがってみんないい のだ。

幼児教育からも学んだ保育の基本でもある大切なことがある。
それぞれのひとが感じる材料を、こちらが黙って散りばめておく、ということだ。
だから、私の今回のCD【無邪気】には、写真がたくさん載った詩集としてのブックレットがあり、
いわゆるライナーノーツがない。