夕暮れと雨

2019年01月21日

大阪、東京、名古屋と、3公演 同じプログラムで開催しています。
全く同じなのに、会場によってこんなにも表現方法が違うのかと自分で思っています。

特に、前半に歌う[四つの夕暮の歌](アルバム収録曲)
「夕暮は大きな書物だ」〜「誰があかりを消すのだろう」〜「誰もいない隣の部屋で」〜「死者のむかえる夜のために」
口語で書かれた谷川俊太郎さんの詩で、ことばがとても引き立つので、
赤松林太郎さんのピアノと、わたしの声とで、朗読をしているような。

ですから、会場によって、お客様のならびによって、
他の曲よりも、わたしの表現が随分変わります。

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わたしは子どもの頃から---思い出せる範囲では、小学校低学年の頃から大きな岩が怖いです。

この岩は思いもつかないくらい昔から、そこにあるかと思うと、
自分の命が、それに比べ数ヶ月で終わってしまうような気持ちになるからです。

何をやっていても、無駄だ
という気持ちが、子どもの頃は強くありました。

投げやりな意味ではなく
本家が禅寺だったので

「しょーぎょーむーじょー ぜ ーしょーめっぽー しょーめつめーつい じゃくめーついらく」

の意味を父から聞いていたからだろうと思います。
でも、この目の前の岩はずっとあるのになあと、子どもだったわたしは混乱したのかもしれません。

昨日までの投稿にも書いているとおり、
今回は桑原聖美さんの絵を、私と赤松さんの音楽と一緒にご覧いただくのですが、

この[四つの夕暮の歌]と、
その前に赤松林太郎さんに弾いていただく
武満徹作曲 [雨の樹素描II]だけ、
絵を掲げません。

「絵」も、人間である私たちと同じく、いつか朽ちてしまうものなので。

赤松林太郎さんのリサイタルで彼がこの[雨の樹素描ll]を聴かせてくださった時、
わたしは、彼の弾くこの曲と[四つの夕暮の歌]を、
ならべて演奏したいと強く思いました。

アルバム収録曲だからとはいえ、華やかな曲を並べた今回のリサイタルのプログラムの中
ただ1曲、重く、特異な存在であったわたしの[四つの夕暮の歌]に、
寄り添ってくれるピアノソロ曲が彼のレパートリーにあることを見つけられて、
本当に幸せだと思いました。
ぜひ、注目してお聴きいただけたらと思います。

赤松林太郎さんには他に、ピアノソロを3曲弾いていただいています。

去年のリサイタルでもお願いした、
プッチーニ 作曲/アルバムの頁
マスカーニ 作曲 / 間奏曲

そして、オペラアリアの中に、
ロミオとジュリエット "別れの前のロミオとジュリエット"
を入れました。

「儚い」
 といえば この2人の恋がすぐに思い浮かぶほど、
誰もが知るラブストーリーですが、
その別れのシーン。

解説(ピティナ・ピアノ曲事典 解説:野原泰子より 抜粋)には
「ジュリエットの寝室で、夜の静寂のなかでロメオとジュリエットが愛を確かめ合い、ロメオが旅立つ場面の音楽で始まる。
 絶望に陥ったジュリエットが、ローレンスの助けを請いに赴く場面の、ドラマティックな旋律が歌われる。
 全曲を締めくくる静かなアンダンテは、ジュリエットがローレンスの助言に従い、ロメオへの愛を貫こうと、周囲を欺くために仮死状態に陥る薬を飲む場面の音楽。
 ジュリエットの迷いや不安、そして死の香りが幻想的に描かれる。」

とあります。

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わたしが悩んでばかりいた時に、友だちが笑い飛ばしてくれました
「まきちゃんは、悩むの趣味なんよ! いいじゃん、リアルにお悩み楽しめば!」

...確かに!!

[四つの夕暮の歌]のような、青年の焦燥感が表現される詩も、
ロミオとジュリエットのストーリーも、
若くして肺結核で死んでいった椿姫のストーリーも、
たくさんの人に愛されて、

悩みとは、暗さとは、
人生で最も甘美なものかもしれないと、今のわたしは思うのでした。

2019年1月24日木曜日 13時30分〜15時30分
足利真貴 CDアルバム発売記念コンサート
ピアノ 赤松 林太郎
最終 名古屋公演
名古屋 栄 宗次ホール
入場料 2000円