よろこびの人

2019年12月06日

この季節、寂しい知らせがつづく。
喪中はがきの届くシーズンということだ。

一般的によく言われることだが、
若い時は、御祖父母さまのご逝去で届くようになる。
そのあとは御父母さまの、まれに、ご伴侶やお子様ご逝去にあたっての喪中はがきが混ざるようになる。
だからこの時期は、郵便物の中にシックな色遣いの葉書を見つけると、
それがたとえ喪中はがきでなくても、ぎゅっと胸が痛くなることがある。

その返信を書く時に、わたしは手元にある膨大な絵はがきコレクションの中から選ぶのであるが、
喪中はがきに対し、
カラフルな絵はがきで返すのも常識的におかしいし、
かと言って、官製はがきに長々と書くことは、読む手間をとらせることを思うとできない、、、

となると、
お供えの心を込めた、お花や風景の写真や、
仲の良い人であれば、その方がホッとするようなものを選ぶことになる。



さて先日、古くからの友人の喪中はがきが届いた。

ご両親のどちらかがにご不幸があったのかと想像しながら文面を読むと、102歳で御祖母さまが亡くなったとのことであった。


102歳。


そして、御名前は、賀寿 さま とおっしゃるのだそうだ。

102年まえに、賀寿と名付けられた赤ちゃん。ご両親や家族皆さまが
「長寿を喜び祝うひととなるように」
と名付けたそのまま、102歳におなりになられた。


私たちにとっては、紛れもなくどこからみても『おばあちゃま』だけれど、
102年まえは、そう願われ生まれた赤ちゃんだったのだと思うと、
お目にかかったこともない賀寿さまに、この詩が書かれた絵はがきを送りたくなったのでした。


よろこびの人は
子どもらのための小さき太陽である。
明るさを頒ち、温かみを伝え、
生命を力づけ、生長を育てる。
見よ、その傍らに立つ子どもらの顔の、
煕煕として輝き映ゆるを。
なごやかなる生の幸福感を
受け充ち溢れているを。



ミーティングまえ、お相手が来るまでのカフェで一枚書き終えた。
明日、投函しようと思う。