赤いフライパン
私が小学生の頃、母はよく働いていた。
大病を患う父の代わりの大黒柱として、嫁として母として。
だから朝ごはんは、幼い頃から私の役割だった。
小学3年生の時には、フランス製の赤いフライパンを買ってもらった。
メニューは、
*ししゃもとお味噌汁の日
*脂のついたステーキハムと缶のコーンスープの日
のどちらかに決まっていた。
6時に起きて、ご飯ができたら小1の妹も起こす。
ある日、パッと目を覚ましたら、もう6時半を過ぎていた。
目覚ましが鳴らなかったのだ。
私は、寝室のある2階から、お尻で滑りながら階段を降りた。
今思えば、走った方が早かったのだが。
そして走って台所に行って、焼き網を用意して急いでししゃもを焼き始めた。
すると、目を丸くした両親が台所を覗き込んで来た。
驚いたのは私の方だ。
"おとうさんとおかあさん、起きてる!"
とびっくりしていると、
「どうしたの!!まきちゃん!まだ夜中の12時半やよ!!」
と言われた。私は時計を見間違えたのだ。
ーーーーーーーーー
さて、この春、新しく自分のレッスン室を持った。
今年私たちの全てを変えた、あのウイルスの影響で
一つの賃貸レッスン室が使えなくなったから。
マンション内、住居の隣の号室に作った自分のレッスン室、
それは、自分の部屋 でもある。
訪れる生徒のレッスンも行うが、
自分の練習に費やす時間がとても多い。
なんなら、うたわず、うたた寝するほど。
私にとっては、もう、なくてはならない場所である。
篭って、家族にすら合わず、スマホも置いたまま、
歌って、食べて、寝て、のエンドレスで、夜中の2時になっていることもある。
誰にも会わないというのは私にとってノーストレスで、
できれば1週間くらいは本当に誰に会わなくてもいい。
散歩もしなくていい。ずっと家の中でいい。
とはいえ、臭いがこもるのが嫌なので、この部屋では料理をしないと決めた。
決めたけど、立て籠るには、食べ物が必要だ。
一つ口の、ガスコンロを買った。
単に何かを温めるとか、その程度までに行動を制御するため、
ただの一口コンロを買った。
小さいベージュ色の琺瑯のミルクパンを買った。
美味しい紅茶を飲みたいから、綺麗なお水を沸かすためだ。だからこの鍋では匂いの付く料理はできない。
小さい雪平鍋を買った。
仕方ない。スパイスを炒めるためだ。スパイスは香りがつくから、スパイス専用でないといけない。
私にスパイスは欠かせないものなのだ。
小さいル・クルーゼの鍋を自室から持って来た。
カレーとか作りたくなるだろうからな。
これまたル・クルーゼのグリルプレートも持って来た。
これでパンを焼けば、トースターもいらないから。
これで必要最小限だろうが、
最後に、
小さいフライパンを買った。
赤いフライパンを買った。
たぶん、小3の時に買ってもらったのはこんなフライパンだったと思う。
今日はカチョカバロチーズを焼いてパンにつけて食べた。
一口コンロにしても、においは避けられない。