佐藤しのぶさんの訃報に

2019年10月08日

佐藤しのぶさんの訃報。

私は合唱としてしのぶさんの後ろに立ったことが一度あるのみですが、
私の心の中には、いつもしのぶさんがいました。

中学生の時
ソプラノ歌手でも紅白に出れるんだ、、、と必死で眠い目をこすりながら観た
NHK大晦日の紅白歌合戦。
そのお正月にピアニストの叔母に会い、
「まきちゃんも、しのぶさんのようになりたいでしょう」
と言われて、あまりその叔母に慣れてなかった私は
ピアニストの叔母に言われることが恥ずかしくて、
曖昧な返事しかできなかった。

高校生の時、
初めて、生の『佐藤しのぶ』をコンサートで観ることができた。
音高生だった私たちは、高校の計らいで連れて行っていただけたのだ。
歌声はもちろんのこと、
今までに観たことのない美しく、バービー人形のような長い脚(ドレスに隠れているからわからないけど)で
美しく深くお辞儀をする、
金髪のキラキラと光りまくる衣装の、
もう、なんと形容していいかわからない美しさに圧倒された。

もちろん、私は、
家の鏡の前で真似をしてみた。歌の練習そっちのけで だ。
相当無理な姿勢をしなければあのお辞儀はできないんだとわかった。
歌には関係ないところでも、きっとしのぶさんは、
観客を魅了するために、この深く美しいお辞儀を研究して作ったのだろうと思う。
お客様に対する、細やかな、心遣いだ。

真似だけは上手くなったが、歌は上手くならないので、
この単なる"佐藤しのぶのモノマネ"は、未だ封印している。


大学生の時、
初めて、周りの友人や大人で、「佐藤しのぶなんて」という言葉を口にする人たちと出会った。
今思えば嫉妬であろう。
いや、嫉妬だけではないかもしれない。
しのぶさんの真似だけを表面的にしたい学生が出てくるのは
先生方にとっては苦々しいことだったろうと思うし、
金髪で、派手な衣装で、急激に美しくなられたしのぶさんが、
実力だけで活躍しているのではないだろうと、あらゆる噂が立つのは、
有名人の宿命なのかもしれない。
私は、「佐藤しのぶみたいになりたい」を封印した。
あれは、しのぶさんだから、許されたり(嫉妬して許されなかったり)するのであり、
実力がない人がやったら、ただただ、痛々しいものになるのだから。



大学を卒業し数年経った頃、

私は、偉大な日本の至宝とも言えるコレペティトゥアーに出会った。
相庭尚子先生だ。
先生は、「まきちゃんは、プリマドンナになる」と言って、とても可愛がってくださった。
探している楽譜があると「2冊持っているからプレゼントするわ」と送ってくださったこともある。

「そんな地元にくすぶってないで、上京して二期会に来なさい」ともアドバイスくださった。
私が家庭の事情で岐阜を離れられないと知ると、
「新国立オペラ研修所なら週2回だし、岐阜からも通えない?」となぜか受かる前提でおっしゃった。(ここで改めて言っておくが、20年前の私のような者には夢のようなレベルの高い話だし、通いでできるような勉強量では無い。)

いつまでも自信がなさそうな顔ばかりする私をみかねて、冗談めかしておっしゃった。

「今あんなにすごい あのしのぶだってさ、研修所来た時はイタリア語もまともに読めなかったのよ! 私、大変だったんだから!笑  だから大丈夫よ、あなただったら大丈夫よ。」

イタリア語がまともに読めなかったなんてことは無いだろうから、優秀なコレペティのレベルから見たら、ということ そして、私を叱咤激励するため大げさに言ったのだろう。
先生は、
【声の素質と、持って生まれた華があれば、今からでも努力すれば咲くことができる】
とおっしゃりたかったのだと思う。
いつも、私への手紙やメールの書き出しは、「プリマドンナ様へ」だった。
何も活躍してない私に。先生なりに、この子には自信を持たせなければと、思ってくださっていたのだろう。

結局、私は行けなかった。
「家庭の事情」というのは嘘ではないし、
あの時私が上京してしまったら・・・
重い病気を患っている父の介護を、
バリバリ仕事をしている母だけでしていたら、父母が壊れてしまっただろう。

だから上京しなかったこと、留学しなかったことを後悔もしていない。
だが、
本当に行きたかったら、家族を犠牲にしてでも行っただろう。
私はやっぱり自信がなかったのだ。どうせ私なんて、と思っていたのだ。
こんな弱っちい精神の持ち主では、どちらにしてもあの厳しい世界を生きていけなかっただろう。

でも、あの時の相庭尚子先生の言葉は、
しのぶさんを、私の中でとても近い存在にした。

でも、相庭尚子先生は9年前にお亡くなりになってしまった。
若い、50代半ばで。
今ごろ、しのぶさんと天国で再会されてるだろうか。

高校、大学生のころに感じた、
「しのぶさんみたいに美しいお辞儀がしたいなあ〜
でも私なんかがやったら、きっとみんなに笑われる。
だから、頑張って上手くならなきゃ。」

これが、バカみたいに自信のない私の、努力の原動力でもあったのだ。
それは今でも変わらない。

カッコつけるなら、美しくあるなら、
それに見合う、歌唱の実力をつけなければいけないのだ。
しのぶさんに出会えて良かった(一方的にだけど)。

佐藤しのぶさん。

ご冥福を心より、お祈りいたします。

私たちの心には、生き続けています。

そして、相庭尚子先生の命日も今月。先生に会いたいです。
プリマドンナ風には、なれたよ、と、報告がしたい。